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マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744) : ミニ英和和英辞書
マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744) : ウィキペディア日本語版
マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744)[ちょうおん]

マリア・アンナ・エレオノーレ・ヴィルヘルミナ・ヨーゼファ・フォン・ハプスブルク(, 1718年9月18日 - 1744年12月16日)は、神聖ローマ皇帝カール6世と皇后エリーザベト・クリスティーネの次女。女帝マリア・テレジアの妹。
==生涯==
ウィーンで生まれた。カール6世には皇后との間に4人の子が生まれたが、成人したのはマリア・テレジアとマリア・アンナだけだった。2人はカイザーホーフ宮殿で育った。
成長すると、マリア・アンナはロートリンゲン公子カール・アレクサンダーロートリンゲン公レオポルトの子)と恋に落ちた。カール・アレクサンダーの兄は、マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファン(のちの皇帝フランツ1世)であった。カール6世の政治的判断もあり、2人の恋が成就するには多くの障害があった。
父カールの死後しばらくして、マリア・テレジアは結婚の許しを妹たちに与えた。2人は1744年1月、アウグスティーナー教会で挙式した。同年、マリア・アンナ夫妻は叔母マリア・エリーザベトの後任として(正確には叔母の死後に総督を務めていたハラッハ=ローラウ伯の後任)、オーストリア領ネーデルラントの総督に任じられてブリュッセルへ赴任していった。
当時はオーストリア継承戦争のさなかで、カール・アレクサンダーがオーストリアの将軍としてプロイセン王国との戦闘に出征している間、第1子を懐妊中のマリア・アンナはブリュッセルに残った。1744年12月16日、マリア・アンナは子供を死産し、自らも急死した。母子はウィーンの皇室納骨堂に葬られた。
その後、カール・アレクサンダーは再婚しなかった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744)」の詳細全文を読む




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